【超長文注意】ちょっと衝撃的な話になるかもしれません。

『世界観マーケティング』

金子です。

先日から募集してきた
コンサルプレゼント企画ですが、
30名の方にお申し込みをいただきました。

今回5名を定員に考えていたんですが、
思いが伝わってきた方が
7名いらっしゃったので、
その方達に無料コンサルをしようと思っています。

今回30名の方の申込の動機を読んで、
あらためて感じたことがあります。

それは、

ひとに貢献したいし自分でも努力
してきたけれど、
どうしてもうまくいかずに、
わらをもすがるという思いのエネルギーの方も
いらっしゃれば、

無料だし、とりあえず、
当たればラッキーくらいの
ソフトな動機で申し込まれていると感じる
エネルギーの方もいらっしゃいました。

ぼくの力を
ほんとうに必要としてくれている方は、
そういうエネルギーの文章を書くんですよね。

そして、
そういうひとであれば、
きっと僕のアドバイスをしっかり吸収して、
行動に移してくれると思うんです。

僕が関わった結果、
そのひとたちが、
その先のひとたちにGIVEを
してくれるなら、
無料のコンサルであっても、
ぼくは出し惜しみなく関わりたいと思います。

ぼくは、
「ペイフォワード」という映画が
大好きなんですが、

この無料コンサルで、
ペイフォワードの循環が
すこしでも起こったらいいなと思っています。

文章にはそのひとの覚悟と
そのひと自身の精神性が現れますね。

自分の悩みや思いがまとまらず、
うまく言葉に表現できなかったんだろうな
と感じた方もいらっしゃいました。

ぼくには、覚悟が決まっていないように
見える方もいらっしゃいました。

ほんとうは受けたいけれど、
やりたいことも明確になっていないし、
自分にはコンサルを受けるタイミングではない
と今回は申込を見送った方もいらっしゃると思います。

今がタイミングではないと感じる
ということは、

そのひとのなかで
まだ準備が整っていない
ということだと思います。

それはけっして悪いことではないと
思います。

準備ができていないということを
よくよく見つめていくと、

それは具体的になにかが準備できていない
というよりは、

ただ単純に、「自分はこの道で行くんだ」
という覚悟ができていない
ということのほうが多いような気がします。

そして、
今回の相談内容で多かったのも、
表面的には違っているようでいて、

本質のところでは、
「自分はこの道でいいのかどうか」

といった内容のように感じました。

ちょっと先をゆく金子さんに、
自分はこの道でいいのかどうかを
聞いてみたい・・・

そんな気持ちが文面から
伝わってくるようでした。

これはすごくよくわかります。

僕自身がこの5ヶ月間で、
自分の天分はなにかと
かなり深いところを見つめて
いましたが、
明快な答えが見つからずにいる状態
ほど苦しいものはなかったからです。

こういうとき、
今までの僕なら、
お世話になっている方に
アポイントをとって相談をしてきました。

そうすると、
話を聞いてくれて、
しかも自分にはない視点での
アドバイスがもらえて、
すごく心が軽くなり、
元気が出るんですよね。

でも、
今回ぼくは、
誰かに相談しようという気持ちに
ならなかったんですね。

もしかしたら、
誰かに相談したところで、
答えは見つからない
という思っていたからかもしれません。

もしくは、
人に相談することで、
そのひとの世界やパラダイムに
巻き込まれてしまうのが
嫌だったのかもしれません。

ぼくはまず、
自分のなかで起きている
「ぐらつき」のようなものを
なんとかしたかったのだと思います。

この「ぐらつき」がある限り、

他人の価値観やパラダイムに
振り回されるだけで、

自分の本心や、
自分にとっての最善の道に
たどりつくことはできない

ということをなんとなく
予感していたんだと思います。

だから、
ひとの意見を取り入れることを
本能的に避けたんだと思います。

ぼくにとって、
この命題(僕の天分とはなにか)は
それくらい大きな難関であり難問であった
ということだと思います。

誰かに答えを教えてもらい
導いてほしかったという気持ちは
あったけれど、

この命題は
自分1人で取り組むべきだと
いうことがわかっていたんですね。

安易にひとを頼ってはいけない。

これはとことん
自分と向き合うときなんだ。

ここから逃げてはいけないんだ。

そう心の奥底で思っていたんだと思います。

はじめは命題さえわかっていませんでした。

自分がなにに対して苦悩しているのかすら
わからないんですね。

命題がわかるまでに4ヶ月半は
かかっていたはずです。

4ヶ月半が過ぎたあたり、で、
ようやく、

「あ、ぼくは、
自分の天分について知ろうと
していたんだ」

ということがわかったんですね。

この命題に気がついてからは、
すごく突破が早かったと思います。

この過程では少なくても
100冊くらいの本はインプット
したはずです。

毎日、朝7時から12時まで
ひたすら本を読んでいましたから。

そして、本を読みながら、
気がついたことをメモしたり、
瞑想をして、
エクセルに日記をつけていきました。

仏教瞑想についても本を読みながら
実践していたんですが、
これはほんとうに大きかったです。

瞑想の本質を知ることで、
ざわざわした感情がフラットになり、
ほんとうの穏やかさを
取り戻すことができました。

スピリチュアルな感覚を
身につけることができたことで、
常に心のなかから消えなかった
不足感や欠落感がなくなり、
豊かさを感じられるようになりました。

仏教の教えを取り入れることで、
感謝や慈悲、縁起、心身一如
といった感覚を取り入れることが
できたことで、余計な心配や怒り、
怖れといった感情を静めることが
できるようになりました。

ユダヤ人の強さのルーツを
知れたこともこの先の大きな財産に
なると思っています。

また歴史とはなにかについて
考えることも自分の天命を知るうえで
大きな手助けとなっています。

歴史というのはほとんどのひとが
学ぶ優先順位の低いカテゴリーに
なっていますが、

僕はこれからの不確実な時代には、
歴史を知っているひとこそが、
未来を予測し、最高の自己実現を
していくことができると思えるように
なりました。

なぜかというと、
歴史というのは、知れば知るほど、
実は捏造の繰り返しによって
作られたフィクション(創作)といっても
いいくらい正確ではない
ということがわかってくるものだからです。

わかりやすいところでいえば、
坂本龍馬が幕末の英雄として
崇拝されているというのもその1つです。

龍馬は土佐藩を脱藩したとなっていますが、
藩士ではないので脱藩というのはおかしいこと。

龍馬が自分の意思で動いて薩長同盟の
立役者になったと語られているけれど、
裏にはイギリスの商人グラバーがいて
資金もグラバーからもらっていたこと。

有名な船中八策も書かれた証拠がないこと。

龍馬が成し遂げたことの事実は
その多くが証明されていないんですよね。

龍馬は司馬遼太郎さんによって
英雄化されたことが大きいと思っています。

龍馬だけでなく、
幕末の志士たちは英雄視されていますが、
彼らが明治維新前後にやったことは
よくよく見て行くと残忍なことも多い。

それでも
「勝てば官軍」という言葉があるように、
薩長が明治政府の主要メンッバーになってからは
明治維新という歴史は光の物語として
編集されていきました。

日本書紀もそうですね。

戦に勝ったものが
歴史を編集できる権利があるので、

都合が悪い事実は捏造することなど
難しくないんですね。

つまり、歴史というのは、
誰かによって編集されてきているものなんです。

編集するということは、
なんらかの「意図」や「解釈」が
入り込んでいるということです。

歴史 = 事実 × 解釈

とするとわかりやすいかもしれません。

そして、

怖いのは、その編集の「意図」です。

例えば、

日本は戦争で悪いことをしました。
だから、原爆を落とされました。

こどもの頃、
誰もがそう教わります。

でも、これはどこまでが
事実なのでしょうか。

どこからが解釈なのでしょうか。

日本がした悪いことというのは
具体的にはなんなんのでしょうか。

原爆を落とされるくらいの
悪いことというのはなんだったのでしょうか。

仮に悪いことをしたとして、
原爆を落とすということは
許されることなのでしょうか。

東京裁判では、
原爆を落としたアメリカは
おとがめなしでした。

日本が裁判で負けたからです。

でも、
チェ・ゲバラが戦後、
広島の平和記念公園に訪れたときに、

「過ちを繰り返さない」と
書いてあるが、この主語は誰なんだ。

なぜ日本人は黙っているんだ

と言ったそうです。

日本人は悪いことをした。
だから原爆を落とされても
しかたがなかった。

というのは、
事実と解釈でいうと、
解釈です。

この解釈がひとびとの脳裏に
事実として刻まれているのです。

日本がした悪いこと
という事実を挙げて説明ができないけれど、
解釈を受け入れてしまっている。

そして、誰も、
この解釈に、疑問を抱かなく
なってしまっています。

僕はけっこう大東亜戦争(太平洋戦争というのは
アメリカがつくった言葉です。)時代のことを
本で読んできました。

セミナーや講演に行ったり、
オンラインの動画講座を見たりして、
戦争の前中後のことを知りました。

そして、
今日常識であるとされている
歴史教育のなかで、
「事実(根拠)なき解釈」が
これほどまで多く入れ込まれ、
編集されているということに驚きました。

そして、
その編集のうらに隠された「意図」を
感じ取ったときに、
ものすごく怖さを感じたし、
編集主への怒りを感じました。

この「意図」によって
日本人の精神支柱そのものが
骨抜きにされてしまっている
ということを知って、

どうして戦後の日本人は
ここまでメンタルが弱くなったのか
瓦解氷解したと同時に、
ものすごい危機感を感じました。

自国の歴史に誇りを持てない
民族は精神性が弱くなると思っています。

そういう意味で、
歴史というのは「精神性の工場」
のような働きをしていると思うんですね。

まっとうな歴史を学べば、
まっとうな精神性が育まれます。

しかし、
意図的に編集された歴史を
教え込まれれば、
意図通りの精神性に変化します。

歴史を知ることで
どんなメリットがあるの?

どんな意味があるの?

ぼくもそうおもう1人でした。

今はこうおもってます。

歴史をたどることとは、

私たちの精神性や認識(パラダイム)が

誰からどのようにして

形づくられてきたかを

1つ1つひもといていく作業であり、

それによって、

組み込まれ仕組まれた
「意図」や「シナリオ」をときあかす

大きな手助けになると。

ぼくたちが真実として
受け入れてしまっている
認識やパラダイムが
もしかしたら誰かによって
なんらかの意図をもって
捏造されたものであるかもしれない。

ぼくはこの5ヶ月間で
こうした「疑う」という作業を
ひたすら繰り返してきたんですね。

なにかがおかしい
なんだか変だな
なんとなく嫌だ

そうした「違和感」をてがかりに
しながら、
自分と同化しているパラダイムに
「疑い」のまなざしを向け、
自分の心の感応を観察していったんですね。

そうすることで
わかったことがあります。

今まで信じていた世界を
疑うことによって、
今までまったく見えていなかった世界に
気づくことができるということです。

そして、
今まで自分が採用していた
ものの見方や評価基準や
決めつけや既成概念といったラベルが
がらりと反転していくという体験が
起こりました。

これによって、
自分自身に対する「まなざし」も
否定的なラベルではなく、
ニュートラルなラベルに変わっていきます。

ぼくのなかに
まだまだたくさんの
「マイナスラベル」が
あったことに気がつきました。

これまで自分のなかで
起こっていた
「ぐらつき」もなくなりました。

そして、
自分の天分、天命にたどりつくうえで
大きなヒントになったのです。

この体験もあって、

こうした認識(ラベル)を
ニュートラルにしていく
「ラベル落とし」をすることによって、

自分自身の本質もわかってくるようになるし、

最終的に天分や天命
といったものも見えてくると考えています。

今回の無料コンサルの
申込動機を読んでいて、

多くのひとは、

集客できない
クライアントが獲得できない
思うように売上が上がらない
という悩みの奥底で、

「自分はこの道でいいのかどうか」
という命題を抱えているということを感じました。

自分のやりたいことが
見つからない。

自分の道に確信が持てない。

やろうと決めても
迷いが生じてぶれてしまう。

自己否定が止まらない。

そうした悩みも、

「自分はこの道でいいのかどうか」

ということが根っこの命題として

あるような気がしています。

そして、
今回のコンサル希望者のアンケートを読みながら、
僕はそういうひとたちの手助けがしたいんだ
という気持ちが強くなっていることを感じています。

また、おこがましいとはおもいながら、
その手助けを今のぼくならできるという気持ちもあります。

「自分はこの道でいいのかどうか」

つまり、
自分の天命となる仕事をしていきたい
という方のお手伝いですね。

天命というのは
英語で「Destiny(ディスティニー)」といいます。

運命とも訳せる単語ですが、
ぼくはあえて
「天命」と訳したいと思います。

天命というのは、
文字通りですが、
天から授かった命を捧げる仕事のことです。

なので、

いくらいくら稼ぎたいとか、
セミリタイヤしたいとか
楽して稼げる方法を見つけたい

というパラダイムにいると見えてこないと思っています。

自分の天分(天から与えられた才能)を使い、
世の中を変える仕事をしていきたい
という想いと志を持ったひとのところに
舞い降りてくるのが天命なのだと思っています。

ひとを集めるマーケティングというのは
20世紀型です。

ひとが集まるマーケティングが、
21世紀型です。

天命に立脚した仕事をしているひとは
それだけで輝き、そのひとにしか
醸し出せない世界観をまとい、
疲れを知ることなく疾走しつづけていきます。

マズローは、
自己実現の欲求のうえには、
自己超越の欲求があると考えていました。

天命に生きるということは、
まさに自己超越の欲求です。

自己を超越するなんて、
自分に果たしてできるのか。

ぼくはそう自問したときに、
そんなことできるのか自信が
ありませんでした。

なぜならぼくには
エゴもあるし、煩悩もあるからです。

でも、仏教を知るうちに、
煩悩もエゴもあってもいいと思えるように
なりました。

仏教では煩悩で自分を乱す声のことを
悪魔というそうです。

大事なことはこの悪魔の声に
乱されないということです。

そのために瞑想や呼吸をするんですね。

止観。

乱れる心を静める(止)と、
自然と深く自分を見つめられるようになる(観)。

今流行りのマインドフルネス瞑想も、
ベースはこれです。

先日の世界観マーケティングの合宿でも、
瞑想を多く取り入れましたが、

天命にたどりつくために、
ぼくは瞑想と呼吸法は大きな鍵になると
おもっています。

仏教の真理や瞑想と呼吸法、
歴史、哲学、スピリチュアル
これらのものからの学びが

この5ヶ月間でぼくのなかで
統合された感覚があります。

これらの体験を
体系化していくことで、

「自分の道(天命)はこれでいいのだろうか」
という方たちへの道しるべになるのではないか。

ぼくは今、そう思っています。

今日はかなり長くなったので、
続きはまた次回のブログで
書いていこうとおもいます。

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