金子です。
実は、昨日から、
鹿児島に来ています。
起業スクールの生徒さんが
鹿児島に住んでいて、
彼に今回の旅を
アレンジしてもらい、
レンタカーで
鹿児島を回ってました。
回ったところは、、、、
・鹿児島空港
↓
・霧島の旅館「忘れの里 雅叙苑」
↓
・知覧特攻隊記念館
↓
・薩摩半島の南端からフェリーで大隅半島へ
↓
・鹿児島で一番美味しいという豚カツ定食
↓
・荒平天神
浜辺に鳥居がある風情ある神社
↓
・桜島
↓
フェリーで鹿児島市内へ
と盛りだくさんの2日間でした。
今、鹿児島から
博多への新幹線のなかで
このメルマガを書いています。
鹿児島はこれで2回目でしたが、
こんなにじっくり回ったことは
実はこれが初めて。
自然豊かで、雄大な景色や
パワースポットがたくさんあったり、
食事も地産地消の
新鮮な野菜、肉、魚を
使った美味しいものばかりであったりと、
ほんとうに濃密で充実した
旅となりました。
今回は起業スクールの生徒さんたちと
一緒に過ごしたんですが、
ビジネス以外の話題で盛り上がって
ほんと楽しかったですね。
こうしたプライベートで塾生さんたちと
時間をともにすると、
1人1人のこれまで知らなかった人間味に
触れることができていいですね^^
それで、
自然の雄大さに触れ、
美味しいごはんに舌鼓を打ちと、
鹿児島を大満喫したわけですが、
今回個人的にもっとも
インパクトが大きかったのは、
やっぱり知覧です!!
実は、知覧は
これまでどうしても
訪れたかった場所なんです。
知覧というのは、
ご存知の方も多いとおもいますが、
太平洋戦争のときに、若き特攻隊員たちが
沖縄の海へと飛び立った場所です。
僕は昔から、
夏にテレビでよく放送されている
特攻隊員の特集番組を見ていると、
なぜか、胸がしめつけられるような
苦しさを感じていたんですよね。
なんでなのかはわかりません。
なんだかすごく
胸がかーっと熱くなるんです。
そして、これは10年以上も前ですが、
友人に誘われて特攻隊をテーマにした舞台を
見に行ったことがあるんですね。
物語の舞台は、知覧。
特攻隊員たちが
出撃の前日の夜に宴を開いていた
富屋食堂です。
富屋食堂というのは、
鳥濱トメさんという方が
やっていた食堂で、
トメさんは、
出撃前夜の隊員さんたちのために
お酒を出して送り出した
特攻隊員たちにとっては
お母さん的な存在でした。
ある夜、
明日出撃する
宮川という特攻隊員が
この物語の主人公。
当時、
知覧高女の女生徒たちが、
特攻隊員たちの食事の
お世話をしたり、
出撃時にもお見送りをしていたんですが、
そのなかの1人の女の子とが
宮川隊員のことを
ひそかに恋い慕っていました。
宮川も彼女のことを
妹のようにかわいがっていたんですね。
想いを寄せる2人。
しかし、
その想いは
決して遂げられることはない。
そのことは2人も
わかっていました。
宴のあと、
宮川は、彼女を
食堂の裏庭に呼び出します。
そして、
彼女にこう告げるんですね。
「俺は見事に明日
散ってみせる。
そして、明日、
ここに蛍になって
帰ってくるから。」
と。
好意を寄せていることは
ついに宮川の口から
語られることはなく。。。。
翌日の早朝、
快晴の空のもと、
宮川は沖縄の激戦地へと
飛び立っていきます。
彼女は
宮川の雄姿を笑顔で送り出します。
心のなかにある
悲しさを必死で隠しながら、、、。
そして、
その日の夜、
彼女は、
食堂の裏庭で
涙に暮れていました。
すると、なんとそこに、
1匹の蛍が現れるんですね。
そこで、
その場にいた
隊員たちと一緒に、
「同期の桜」を合唱し、
号泣するのです。
この舞台を見たときから、
僕はこの知覧という土地に
いつか必ず行きたい・・・・
そう思っていました。
そして、今回の旅で、
ついにその知覧に
来ることができました。
知覧には
特攻隊員たちの
遺書や写真などが展示されている
知覧特攻隊記念館があります。
今回、
彼らの出撃直前に書いた
遺書を読んできました。
本では何度か
目にしたことが
あるんですが
実際にその遺書を見て
まず驚くのは、
その遺書に書かれた
彼ら特攻隊員たちの筆跡です。
どの手紙をとっても、
いずれも驚くほどに
達筆なんですね。
隊員の最年少年齢は
17歳という
若さだったといいますが、
その写真を見ると、
とても17歳とは見えないくらい
風貌も勇ましい隊員ばかり。
その目は、
祖国日本の絶体絶命を
救うため、
親兄弟のいる故郷が
攻撃される日を
1日でも遅らせるために、
秘めた覚悟の大きさが
現れています。
遺書にある文字で
印象的だったのが、
「決死」
「必死」
「必中必沈」
という字でした。
敵艦に必ず命中し、
必ず沈めるという決死の覚悟が
その文字からびりびりと
感じられましたね。
今日自分が死ぬという日に、
彼らの遺書には
親兄弟への気遣いと感謝、
そして、国を思う気持ち
だけがつづられていました。
「お母さん、
子供の頃に行った遠足を思い出します。
敵艦を見つけることが待ち遠しく
わくわくします。」
「これから私の命は散りますが、
これは悲しむべきことはなく、
喜ばしいことです。」
・
・
・
こういった遺書を
何通も読みました。
17歳から23歳くらいまでの
若者たちが命を賭して
この国を守ろうとしたことを、
決して忘れてはいけないと思うんですよね。
僕は彼らの命は
決して無駄ではなかったと思います。
今日本は景気が悪いとは言われているけれど、
一時はアメリカにつぐ
世界第2位の経済大国にまで発展したのも、
彼らのように祖国のことを憂い、
命をかけてくれた先人たちがいたからだと思うんですね。
これは、僕の個人的なビジョンの1つなんですが、
彼ら若き特攻隊員たちの
国を救いたいという切なる想いを、
こどもたちに語り継ぎたいと思っています。
それが具体的には
どういう形なのかはわかりませんが、
これは次世代に絶対につなぎたい
バトンだと思うんですね。
今回知覧を訪れた旅で、
その想いがよりいっそう強くなったなと
思っています。