世の中に適応できないひとたちが次の時代のリーダーになる

『世界観マーケティング』

金子です。

ここのところ、
ブログのアクセス数が減っています^^;

きっとノウハウ的なことを
ほとんど書かなくなっているからなのかも。

「稼ぎ方」を知りたいという読者さんたちには
今ぼくが書いていることというのは
役に立たない情報なんだと思います。

天命とか本質とか光とか
語り始めたので、

「金子さん、ついに
そっちの方面に行ってしまったのか」

と思っている方も少なくないのかなと^^;

ぼくのなかでは、
マーケティングやビジネス
という文脈のなかで、

これらの概念について
話しているつもりなんですけど、

言葉や概念だけを見れば、
自己啓発とかスピリチュアルの
話をしているように
感じるのかもしれません。

ぼくの感覚では、

すでに自己啓発とかスピリチュアルとか
ビジネスとかマーケティングとか
心理学とか自然科学とか哲学とか
歴史とか経済とか世界情勢とか
宗教とか量子物理学とか、

そういったジャンルやカテゴリーを
分けること自体がナンセンスだと
感じているんですよね。

これはあくまで僕のパラダイムですが、

そもそも、こうして
「専門化」することによって、

・それ以外のことがわからないようにする、
・本質を見えにくくする

という「意図」があると解釈しています。

これからの予測できない不確実な時代では、

これまでまことしやかに定説や常識として
考えられてきたパライダムを疑う「眼差し」を持って、

物事の裏側を洞察できるということが
求められると思っています。

そもそも、
僕たちの深層心理が、
物心が付く頃までに、
さまざまなフィルターが
差し込まれているということに気がつかなければ、

物事の本質や
世界の本質や
自分の本質に気がつくことはできないと思っています。

僕自身、
幼少期から無意識のうちに
取り入れてしまったフィルターを
1枚1枚取り除いているところですが、

学校教育や親からの教育、

社会的規範、道徳やマナー、

暗黙のルール、

マスメディアによる認識操作、

資本主義によるお金信仰パラダイム、

社会的成功の基準やヒエラルキー
などによって、

きりがないくらいに、
多くのフィルターがかかっていたことに
気がつき、愕然としているところです。

「こんなこと教えてくれるひとは
誰もいなかったぞ!」

というような情報に触れるたびに、

「嘘だよ、こんなの」
「なんてひどいことが起こっているんだ」
「誰が真実を隠しているんだ」

といったような陰鬱な気持ちになりました。

今まで信じていた世界を
否定されるというのは、

ものすごい抵抗や反発の
感情が起こるんですね^^;

ただ、
最初のうちは、
「嘘だよ、こんな情報」
と疑っていたことも、

他の文化人や知恵者の本を読んでいくと
違う角度ではありながら、
本質的には同じことを言っているわけです。

ドン・ミゲル ルイスさんが書いた
「四つの約束」では、

自分の本質を見えなくさせているものを
「霧」という言葉で表現されていました。

ニーチェは、
その「霧」がかかっている
社会的構造を見抜きました。

ひとの主体性を失った、
つまり、
自分の本質に「霧」がかかって
どう生きたらいいかわからない状態
になっていることを
ニーチェは「末人」と呼んでいますが、

社会全体が「末人化」しているのは、
「信仰」が根っこにあると喝破しています。

その比喩として、
キリスト教(正確にいうとローマカトリック教)
という宗教を持ち出しています。

このキリスト教というのは
1つの「信仰」の代表例だとぼくは解釈してます。

今は、
資本主義やお金が「信仰」の代表格に
なっています。

お金がないから不幸。

お金があれば幸せになれる。

ニーチェはこれも「信仰」として
ひとびとの主体性を奪うと考えていました。

彼の思想はちょっと読むと、
いっけん過激に感じることがありますが、
ものすごく深くて鋭い洞察をもって、
世界を見ていたひとだなっておもいますよね。

これはぼくも読んでいてショッキングだったんですが、
「信仰」によって、「主体性」を失って
生きているひとたちや社会全体のことを
ニーチェは「精神病院」という
比喩を使って揶揄しているんですよね。

当時の世の中の人たちは、
そんなことを考えているニーチェは
精神的に狂っていると思っていました。

だから、彼の著作は、
彼が生きている時期に
世の中から評価されることはなかったんですね。

ニーチェからすれば、
世の中に対する恨みや復讐心(ルサンチマン)にあふれ、
主体性を奪われて、間違った目標設定をして
生きているひとたちのほうが狂って見えていたんですね。

いつの時代もそうですが、
世の中の本質や真実を知ってしまったひとは、
世間から理解されずに「浮いて」しまうんですね。

正常な感覚のひとが、
社会に適用できずに苦しんでいる。

それが世の中の常なのかもしれません。

ひきこもり不登校やニートが
増えているのも、
社会の「ずれ」が引き起こした現象
なのかもしれません。

彼らがおかしい(間違っている)のではなくて、
世の中のほうがおかしい(間違っている)のかもしれません。

彼らはただ世の中に対して感じる
「違和感」にただ正直に忠実に
生きているだけなのかもしれません。

社会に適応するということが正しくて、
適応できないのは間違っているという
パラダイムにいる限り、
この社会問題は解けないのかもしれません。

これはぼく個人の見方なので、
反対意見を持つひとがいるかもしれませんが、

社会に不適応なひとたちというのは、
まっとうな感覚を持っているひとたちだと
思っています。

世の中への違和感や疑問に
まっこうから立ち向かい、
誰からも理解されることなく
孤独の淵にいる彼らこそ、

その葛藤や暗闇から抜け出して
自分の本質を生かしていくことの道を見つけることができたとき、
次の世の中をリードしていくリーダーになっていくのだろうと
思っています。

世の中に適応できない自分のほうが
おかしいのではないか、
間違っているのではないか。。。

そんなふうに感じているひとたちに
伝えたいことは、

あなたはけっして間違っていないんだ
ということです。

世の中の「稼いでなんぼ」
というパラダイムにどうも
息苦しさを感じつつも、

経済が循環していない現状に
直面しているために、

稼げない自分を責めてしまう。。。

成功している人たちの
やり方への抵抗を感じつつも、
経済を回すためには、
彼らの「スタイル」を
取り入れなければならないと
自分に言い聞かせ、

ストレスを感じながら
必死でがんばっているが、

楽しくないし、
苦しいし、
結果も出ないし、
現実がまったく好転していかない。。。

そういう苦しみや悩みを
持っている方が、

ぼくの周りにものすごく多いのは、
偶然ではないと思っています。

もし、あなたが、
今まさにそういう↑状態だとしたら、

それはあなたの本質とずれた方向に
進んでいるというサインかもしれません。

そして、
その「ずれ」に気がついて、
進むべき方向性に気がつく
最高のチャンスなのかもしれません。

あなたのなかで発動している
「違和感」こそが、
あなたの進むべき方向を
教えてくれる「羅針盤」です。

正しいとか間違っているとか
そもそも誰にもわかりません。

なにが真実でなにが虚なのか
誰にも証明できるものではありません。

苦しみというのは、
なにかに対する「信仰(これが正しい)」によって、
自分を裁くことから生まれるものだとしたら、
(そういうパラダイムで考えるとしたら)、

その苦しみをもたらす「信仰」は、
ほんとうにあなたにとって必要なのでしょうか?

ぼくは自分自身が
「信仰」であること

つまり、

世の中の常識や社会的な規範や
世間的な成功神話や
お金信仰パラダイムや
「~がないから幸せではない」というパラダイム
などによって、

自分自身だと思い込んでいる
自己像(霧がかかってしまった自己)を
疑い、

本来の自分の姿=本質を思い出すことで、

自分自身を信じられるようになること。

そうなれることによって、
さまざまな呪縛から解放され、

ひとは自由になれるし、
主体性を持って生きられるようになると思っています。

「あなたはあなたのままでいい」
とよく言われますが、
そのことの本質的な意味というのは、
そういうことをいうのだと思います。

 

今日はこれから、
妻とマーベルの最新作
「マイティー・ソー」を観に行ってきます^^

東京は午後から雨が降りそうですね。

では、
また次回のブログで!

金子

 

 

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