『なぜひとは才能に生きられないのか?理由その1』

金子です。

 
前回の記事で、

 
・「個人としての競争力」が
求められる時代に突入しつつある・・・

 
・そのときに、
大きな助けとなってくれるのが、
私たちの「才能」である。

 
・「才能に生きる」ことが、
もっとも人に貢献できる生き方である

 
という話をしました。

才能に生きることこそ、
豊かで充実した人生を送るための鍵である
ということだとぼくは思うんですね。

 
ただ、
才能に生きられるひとは、
少数なのが現実なのです。

 
ここで見落としがちなのが、
お金を持っていることと
才能に生きられていることは
「別だ」ということです。

 
もちろん、
才能に生きているからこそ、
世の中や多くのひとに役に立ち、
豊かになっているひともいます。

 
逆に、
お金を稼げていても、
自分の才能を発揮していないひとも
実際少なくありません。

 
才能に生きているひとと
話していると、

そのひとの話に、
思わず引き込まれてしまう
瞬間があります。

 
仕事の話をしているとき、
はつらつとしています。

 
ふつふつと
沸き起こる種火のような
熱をその内側に感じます。

ですが、
お金稼ぎがうまくても、
才能に生きていないひとは、
どこかで満たされていないような
印象を受けます。

 
なにかが欠乏している
ようなエネルギーを感じます。
確かに、
経済が充実していれば、
物質的には豊かな生活が送れます。

 
しかし、
精神的な豊かさは、
また別物なのです。

 
精神的な豊かさとは、

充実感であり、
やりがいであり、
喜びであり、
ワクワクを感じられる状態です。

 
つまり、
感情の振れ幅の大きい
生き方なのです。

 
才能に生きていると、
この感情の振れ幅も
大きくなります。

 
精神的な豊かさは、
私は才能に生きられているかどうかが
大きいと考えているんですね。

 
しかし、
才能に生きられていないひとのほうが
断然に多いのが
今の日本の現実です。

 
なぜ、
多くのひとは、
才能に生きることが
できないのか?

大きくは2つ理由が
あるとおもいます。

1つは、
「自分には特別な才能なんてない」
と思い込んでいるからです。

 
では、どうして
多くのひとは、
自分にはたいした才能がない
と思っているのか?

 
これは単純です。

 
偏差値教育の弊害でしょう。

 
テストの点数がいいかどうか。

 
この1つの尺度で、
価値を評価するので、

平均よりも劣っているグループは、
「私は普通よりも劣っている」
という強烈な劣等感を植え付けられます。

 
逆に、成績が良いグループは、
自己有能感を高めます。

 
では、
優秀グループではないが、
平均より上のグループはどうか?

 
平均よりも上なのだから、
自信がつくかというと
そうではないでしょう。

 
「私は特別な人間じゃない。」
「私は平凡な人間だ」という
自己認識をするようになります。

 
実は、これも
紛れのない「劣等感」なのです。

 
偏差値教育によって、
8割以上のグループが
自己有能感を持てず、
劣等感を植え付けられている・・・

というのが
今の初等教育の現実ではないか
と思います。

では、
なぜそんな教育をするのか?
資本主義社会の原理からすれば、

こどもの頃から、
「管理する人」と
「管理される人」の
2つの階層にわけるため
と考えるのが自然といえます。

 
社会に明確な「序列」をつくることにって
「秩序」を保とうとしているのですね。

 
話を戻すと、

「自分には特別な才能なんてない」
という思い込みは、

幼少期に受ける偏差値教育によって
強烈に植え込まれているということですね。

 
でもですね、
世の中に名前を残しているひとを見れば
わかるとおもいますが、
学歴が高いひとたちばかりでは
ありませんよね。

 
学歴が高いからといって
必ずしも成功するというわけでも
ありません。

才能というのは、
学歴とは関係なく、
誰にでも備わっています。

厚く覆われた
学歴コンプレックスの下に
豊かな才能が眠っているのです。

そして、
多くのひとが
才能に生きられない理由には
もう1つあります。

 
長くなるので、
次回のブログで
詳しくお話していきますね。

それでは、
素敵な週末をお過ごしください^^

 

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